強い陽射しが梅雨明け間近を予感させる、うだるような昼下がり。 軽やかにエントランスのチャイムが鳴った。飛び込んでくるのは息弾ませた高耶の声。 「……直江、いる?」 「はい。すぐに開けますよ」 もうすぐ此処に上ってくる彼のために、冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出した。 学校からの道のりを、おそらく駆け通しに駆けてきたのに違いないから。きっと喉だってからからだ。 グラスに注いで氷を浮かべているうちに、タイミングよく玄関のドアを開ける気配がした。 「ただいま〜。あっち〜〜!」 元気な挨拶と一緒にぱたぱたと軽い足音が聞こえてきて。 ぴょこんとリビングに顔覗かせた高耶は思った通り汗だくだった。 「お帰りなさい」 「うん、ただいま」 差し出したグラスを嬉しそうに受け取って、一気に飲んで。 「ふぅぅ〜。生き返った」 吐息とともに、すとんと椅子に腰を下ろす。 手にしたままのグラスに直江はもう一杯、お代わりを注ぐ。 「…あ、ありがと」 はにかむように礼を言う高耶の顔は本当に真っ赤だ。こめかみにも鼻の頭にも玉の汗を滲ませている。 「シャワー、した方がよさそうですね。べたべたして気持ち悪いでしょう」 苦笑交じりの直江の提案に高耶は素直に頷いた。 「でも、冷水はダメですよ。ぬるくてかまわないからお湯をだしてくださいね?」 「え〜!?」 恨めしげな目線をくれた高耶に精一杯しかつめらしい表情を取り繕って言い渡す。 「今冷たいもの飲んだばかりだから。この上外からも冷やしたら絶対お腹が痛くなります」 断言する直江に、しぶしぶと首肯する。 それでもまだ、水の方がイイのにぃ〜とぶうたれながら浴室へ向う彼を、直江はにこにこしながら見送った。 父親が出張の数日間、『おとなりさん』として高耶を預って今日は二日目。 折りよく取れた代休に、彼までつき合わせるわけにはいかないのが少々残念だったけれど。 朝に『いってらっしゃい』と送り出し、午後には『お帰りなさい』と出迎える、たまにはそんな一日もいいかと考え直した。 普段何気なく彼が掛けてくれるねぎらいの言葉がどれほど自分を安堵させるか、その万分の一でも彼に返したかったから。 もっともこの日の急な暑さは想定外で、よほど学校まで迎えに行こうかと思わないでもなかったのだが。 留守にして熱気のこもる部屋に戻るよりはと、室内を整えてうずうずしながら彼の帰りを待っていたのだ。 湯上がりの彼のために冷房は少しだけ強めにして。でも冷えすぎないよう氷菓はやめて紅茶を添えたケーキにしようか。 そんな算段がわけもなく楽しい。 鼻歌でも歌いたい気分で直江はいそいそとお茶の仕度に取り掛かった。 ほどなくシャワーから戻ってきた彼も、至極上機嫌だった。 「あ〜、すっきりした!」 短パンにTシャツ姿、タオルを被せただけの髪から滴る水滴もそのままに、 ぺたぺたと裸足で歩いて、ソファにどっかり腰を据える。 どこぞのオヤジのようなその仕草に、思わず直江が吹きだした。 茶器を運ぶ手を休めて、高耶の背後に回りこむ。 「こんなに濡らしたままじゃ風邪引きますよ。ちゃんと乾かさないと」 言うなり、手を伸ばして髪の水気を拭い始めた。 一方の高耶はおとなしくされるままになっている。 汗は流してさっぱりしたし、火照りの残る肌にエアコンの風は心地いいし。 そのうえ、大好きな人が何くれとなく世話を焼いてくれるのだ。 どうしたって笑み崩れるのが止まらない。 「……ゴクラクみたい」 「……それはそれは、光栄です」 こぼれた本音に、直江が冗談めいた応えを返す。 そんなやり取りがまた楽しくてたまらなくて、高耶は、この日、とっておきの隠しだまを披露した。 「あのさ、今日、算数のテストが返されたんだけど。満点だった」 「それはすごい。高耶さん、よく頑張りましたね」 直江の声もとても嬉しそうで、わしゃわしゃと髪を拭く手にまで力のこもった感じがする。 それが少々くすぐったくて、高耶は慌てて続きを言った。 「この間、教えてもらった図形の発展問題。あれとそっくりのがでて。 ……解けたのクラスでふたりだけだった。だから百点取れたのは直江のおかげ。どうもありがと」 「それでも、その解き方をきちんと理解してテストに応用したのは高耶さんでしょう?だから立派な実力ですよ」 「……そうかな?」 「そうですとも」 「……オレ、えらい?」 「ええ、すっごく」 直江の言葉に後押しされて、にっかりと高耶が笑った。 照れ臭そうに、でも得意げに。世界一幸せな顔で。 彼の髪に触れながら、直江もまた同じ笑みを浮べていた。 |