「こんなに濡れて…また風邪ひきますよ。」 ぐしょぐしょに濡れた髪をタオルで拭きながら、直江が何度目かの溜め息を吐く。 「しょうがないだろ。急に降って来たんだから」 おとなしくタオルに包まれたまま、高耶は小さな肩を竦めて、くすぐったそうに笑った。 ふんわりと柔らかなタオルが気持ちいい。 それ以上に、ちょっと怒った口調のあったかい声と、大きな手から伝わってくる優しい温もりが、なんだかとても嬉しくて、すごく幸せな気分になる。 だからつい、来たくなってしまう。 こんな雨くらい、家まで濡れて帰ったって、ホントは全然なんともないのに… 風邪を引いても平気だし、独りは慣れてる。…はずだったのに、なぜか今は雨が降るたび、ここに来ている。 ここに来れば直江がいる。 直江は俺みたいな子供を、雨の中へ追い出したりしない。 そんな自分を後ろめたく思いながら、高耶は心地良い温もりに身を任せていた。 「まだ降ってるかな?」 読んでいた本から顔を上げて、高耶がポツリと呟いたのは、夕方の5時を過ぎた頃だった。 「帰りたいの?高耶さん。」 無意識に言葉を返した直江は、自分の声の冷たさにハッと口を押さえた。 これではまるで、帰りたがる高耶を、責めているようなものだ。 子供が家に帰ろうとするのは、少しも悪くない事で、むしろ自分が先に気付くべきだったのに… けれど思わず出てしまった本音は、高耶の目を大きく見開かせ、直江は取り繕うことも忘れて、魅入られたように、その瞳を見ていた。 いつからか、雨は直江の免罪符だった。 濡れたら風邪をひくから… どうせ外では遊べないし、だったら今すぐ帰らなくても、ここで過ごせばいい。 せめて雨が止むまで… 高耶が来るたびに、いっそ止まなければいいと思った。 雨が降る間は、高耶を引き留めていられる。そんな幻想を抱いていた。 何をするわけでもない、ただ高耶と一緒にいるだけで、心が奥の方から温かくなった。 だがいくら雨を免罪符にしても、時が経てば高耶は家に帰ってしまう。それどころか、雨宿りをせずに帰る日も、あって不思議はないのだ。 そう思うと、堪らなくなる。 高耶の澄んだ黒い瞳を見つめて、直江は祈る思いで呼びかけた。 「高耶さん」 今日は家まで送るから、また来て欲しいと言うつもりだった。 雨宿りだけでなく、いつでも来て下さい。 そう言おうとした直江から、高耶は瞳を逸らして俯いた。 「帰りたいんじゃねぇよ…ほんとは俺…」 ずっと直江と一緒にいたい。 でも高耶は、それを口に出せなかった。 言ってしまえば、もっと強く願ってしまう。 親でさえ願っても離れた心を、直江に求めるのはワガママ過ぎるだろう? 泣きたくなる。 直江の声が、俺を帰したくないって聞こえて… 帰りたくないって、言ってしまいそうで… 「高耶さん…困らせてすみません。あなたといる時間が楽しくて、つい…。」 直江の手が、そっと肩に置かれて、優しい瞳が高耶の顔を覗き込む。 「楽しい?直江も?本当に俺といたい?」 嘘を見抜く高耶の瞳を、直江は真っ直ぐ見つめて頷いた。 「だから、また来て下さい。いつでも。雨が降らなくても。」 「うん。」 コクンと頷いて、高耶が笑った。 雲間から漏れる陽光のような笑顔を、直江は心でしっかりと抱きしめた。 これ以上、何を望むだろう? 雨が止んだ空に、綺麗な夕焼けが広がっていた。 2008年6月23日 桜木かよ |