「高耶くんに新しい家族が出来るんだよ。よかったね」 呼び出しを受けておそるおそる入った院長室で、院長先生がそう言った。 かぞく?それっておとうさんとおかあさんのこと?おとうさんとおかあさんが僕に出来るの? 普通のおうちに住んで一緒に暮らすの? たどたどしく尋ねる高耶に、院長先生はもう一度大きく頷いた。 「前にお会いしたよね。橘さんというご夫婦が君の里親になって大きくなるまでお世話をしてくださるんだよ」 さとおやという言葉の意味はよくわからなかったけど、タチバナさんなら覚えている。 優しそうなおばさんと背の高い頭がつるつるのおじさんだった。 談話室に呼ばれて少し話をして、それからぐるりと外を散歩した。 右手をおじさんと、左手をおばさんと繋いで。 どっちを見上げても自分を見ていてくれるふたりのにこにこの笑顔があって。 それが嬉しくて高耶も両方の手にぎゅっと力を込めたりした。 そしたら、おじさんは急に悪戯っぽい目つきになっておばさんに何か言うと、二人して手をあげてひょいっと高耶の身体を持ち上げてくれたのだ。 ぶらんこみたいに大きなジャンプ。まるで空中遊泳をしているよう。着地のたびにもう一回とせがんでは、何度も何度もしてもらった。 終いには、おじさんもおばさんも苦しそうにはあはあ息を切らしたけど、やっぱりその顔は笑っていて。 それからみんなでベンチに座って買ってもらったアイスを食べた。 先生たちには内緒ね、と、おばさんが言って。もちろんうんと頷いて秘密の指切りをした。 また会おうね、と、おじさんも言って。おじさんとも指切りをした。 ―――夢みたいに楽しかった。 そんなことをぽやんと思い返していたら、がさごそと音が聞こえた。 院長先生がなにか紙袋を出している。 「これはね、橘さんの奥さんからプレゼントだそうだ。高耶くんに使ってほしいって。あけてごらん」 どきどきしながら封を切る。鮮やかな赤が目に飛び込んできた。 「!」 そっと手を入れた。 指に触れるのはふわふわの毛糸の感触。 帽子とマフラーと手袋。 ほっぺにあてると、あのときのおばさんの笑顔みたいにあったかかった。 気持ちのよい寝床から慌しい電話でたたき起こされたのは、その冬、最初の雪が積もった朝のことだった。 父が転んで足を骨折したと言う。 ふだんは気丈な母だけど、ずいぶん動転している様子にほだされて、 「わかりました。すぐにそちらに伺いますから。もう少しだけ待っていて」 そんな孝行息子めいた殊勝な台詞を、つい吐いてしまったのだが。 「違うの。あなたに頼みたいのは別のことなの。実は―――」 息せき切って事情を説明し始める母の心配は、まったく違うところにあったのだった。 状態の悪い道路を四時間弱、ようやくたどり着いたのはとある山間の養護施設だった。 その施設から子どもをひとり、里子に引き取って育てたいという両親の希望を、そういえば前に聞いた覚えがある。 秋の深まる前に赤い毛糸でマフラーを編んでいた母が問わずがたりに語ってくれたのだ。 が、その縁組がすでに本決まりになっていて、今日がその子を迎えに出向く約束の日だったとは思いもしなかった。 よりにもよってそんな日に父は怪我をし、付き添う母も身動きが取れず、こちらに送迎のお鉢が回ってきたわけだ。 正面の前庭はきれいに雪かきがされていて、建物の裏手からは子どもたちのあげる歓声がかすかに響いてくる。 (高耶くんっていってね、とっても可愛らしい子なのよ) 編み棒を動かしながらそう微笑んでいた母の表情が思い出されて、受付に寄るより先に声のする方に回ってみた。 十数人の子が思い思いに雪遊びをしていた。 仰木高耶という名のその子は、この元気に遊ぶ子らの中にいるのだろうか? しばし視線を泳がせているうちに、敷地の庭のさらに奥、冬枯れの木立の中にちらりと赤いなにかが動くのが目にとまった。 「?」 一歩林に入るたび、背中の声が遠くなる。 まるで不思議な結界の中に分け入るよう。 そうこうするうちに再び視界の端を赤がかすめて、今度は合点がいった。 その鮮やかな色はおそらくは毛糸の帽子。赤い帽子とマフラーをした子どもが一人、 一心に雪玉を転がしては大きくしている。 (ああ、彼が―――) そっと近づいて声を掛けた。 「仰木高耶さん?」 突然名前を呼ばれて、彼は、驚いたように振り返った。 「はい。そうですけど……どちらさまですか?」 緊張を滲ませた甲高いこどもの声が紡ぐ、大人びた丁寧な言葉。 赤い帽子からのぞく黒髪。きらきらした大きな瞳。紅潮したりんごのほっぺ。 本当に母の言う通りの子どもだった。 「はじめまして。橘と言います。両親に代わってあなたを迎えにきたんですが……ああ、手が真っ赤だ。手袋はどうしたの?」 冷たそうな彼の手に目がいって 挨拶の途中で屈みこみ、その小さな手を自分の両手で包み込んだ。少しでも早く温もりが戻るよう、ゆっくり息を吹きかける。 不意をつかれてされるままになっていた彼が、やがてにっこり微笑んだ。天使が笑いかけてくれたらきっとこんな感じだろう。そう思わせるような笑みだった。 「―――あったかい。おじさんやおばさんとおんなじだ。ねえ、おにいちゃんのことはなんて呼べばいいの?教えて」 「私は―――」 それが、彼とのはじめての出逢い。 運命の出逢いだったと、今も直江は思っている。 |