街のはずれ、こじんまりとなだらかな丘の上にその樹はあった。 造成途中に大昔の土器が発掘されそのうちの何点かは市内の博物館へ行き、後りの遺構は埋め戻されて小さな公園になった。 もっともブームの過ぎ去った今は荒れ放題に放置され、 雨ざらしの説明板がかろうじてそこがただの野っ原ではないことを示しているだけなのだが。 虫捕りの子ども以外寄り付かないようなその場所が密かにお気に入りだったのは、持って生れた性分としかいいようがないかもしれない。 そしてその樹も。 当時植樹された苗木の中で、唯一まともに育った公孫樹。 春夏秋冬、すらりとしたその樹はただ其処に在って、四季折々の風情を見せていたはずなのに、記憶にあるのはいつも冬空に凛として立つ裸木だ。 初冬から春にかけての、 葉を落とし鋭い円錐を結ぶその姿が、 遮るもののない広い空を背景に、まるで天を衝かんとするように鑓をかざす孤高の騎士のようで。 吹きさらしの丘に登って見上げては、その潔さに見惚れていた。 思えばその冬枯れの風景は、表向き世間と折り合いながら内に満たされないものを抱えたその頃の自分の心象そのままだったのかもしれない。 やがて進学のために家を離れ、そして数年。 彼が家にやってきた。 光に焦がれる虫のように、どうしようもなく彼に惹かれた。 足繁く帰省を重ねる自分を父母はただ笑っていたけれど。 彼の家族としてすごせる週末は、何物にも替え難い素晴らしい時間となった。 たとえば、お気に入りのあの丘へ彼を誘った夏の一日。 ショウリョウバッタやトノサマバッタ、トンボ、カマキリ。 草いきれのなか網を振り回し歓声をあげて虫捕りに興じた後は、公孫樹のつくる木陰に座り込み用意の麦茶で喉を潤した。 「此処、涼しくて気持ちいいねえ」 興奮覚めやらぬまま、流れる汗を拭って彼が言う。 「それに、葉っぱに透けてお日さまがきらきらしてる。すごくきれいだ」 両手を地面につき、麦わら帽子が落ちるほど仰け反って頭上の緑を見上げながら。 ……吹き抜ける風にさやさや揺れる葉ずれの音が喜びの声に聞こえた。 おなじものを見ていても、こんなにも違う。彼というフィルターを通すと、世界はこんなにも命きらめく美しさに溢れているのだと知って、 泣きたいような気になった。彼といるだけで、欠けていた自分の何かが静かに埋まっていくのだと。 天啓めいたその予感は外れることなく。 秋の終わりに、もう一度彼と公孫樹の丘へ上った。 穏やかな日和だった。 遠目からも見事に黄葉していたその樹は、まるで彼が来るのを待っていたみたいに、さしたる風もないのに突然、一斉にひらひらとその葉を落し始めた。 「うわあ!」 彼が瞳を輝かせ、樹の根元へと駆け寄る。 きらきら輝く光のシャワー、黄金色の葉が宙を舞う。 公孫樹からの贈物、天からの祝福のように。 「金色のちょうちょみたいだ!」 そう言って顔を仰のけ無心にその葉を掴もうと手を伸ばす彼に向って。 金色の小さな鳥のかたちして…… 昔学校で習った一節が、不意に脳裡に浮かんだ。 なんの感銘も受けずただ機械的に覚えた歌の情景が初めて解かった気がして、思わず涙ぐんだ。 丘も公孫樹も。 佇まいはなにも変わらない。 けれど。 この丘を思うとき、もう公孫樹は天に楯突く孤高の騎士ではない。 最後の命を慈愛に代えて降りそそぐ豊饒の存在。寿ぎの樹だ。 そして自分も。 高耶が傍にいる限り、そうありたいと強く希った、ある秋の一日だった。 |