only dreaming  - 9 -


その日の夕暮れ時、美味しいと評判のテイクアウトを携えて帰宅した直江に対して、高耶の態度は少々ぎこちないものがあった。
お帰りなさいの挨拶はしてくれた。 だがそれ以上が続かない。
声を掛けても、返事は必要最低限。まともに視線を合わせない。
まるまる一日彼のことが頭から離れず、無理やり仕事を切り上げて飛んで帰ってきた身としては、いささか切ない。
けれど。
差し向かいでテーブルに座り、伏し目がちに食事を摂る彼を盗み見ながら思う。
考えてみれば、最初に出逢ってからまだ一週間も経っていないのだ。 しかも、本来なら時間を掛けてお互いについて知るべきところを一切すっ飛ばし、出逢ってすぐに彼の純潔を金で奪った形になってしまった。
高耶にしてみれば、自分を買った相手を目の前にして平然と振舞えないのも無理もないことかもしれなかった。

途切れがちになる会話を如才なく続けながら、直江は高耶についての情報をひとつひとつ彼の口から引き出していった。
たとえば、好きな食べ物や、ドラマや映画やマンガ。
趣味。 スポーツならなにが得意か。あるいは観戦するなら野球かサッカーか。贔屓のチームはどこなのか。
そんな他愛もないけれど答えやすい話題を、ひとつずつ。 根気強くキャッチボールのように続けていく。
食事の間中。そして、リビングに場所を移して食後のケーキと珈琲を前にしても。
珈琲にミルクは入れますか?砂糖はいくつ?それとも紅茶の方がよかったですか?等々。
どんな些細なことでもいい。それが大切な高耶の人となりを知る大事な手がかりだから。

甘いものが好きなのだろうか、ケーキを食べる彼の顔が少しずつ綻んでいく。
次第に話す口調が滑らかになり、時には小さく身振り手振りが交じる。
その仕種すべてが愛しくてたまらない。
愛おしすぎて、つい長く見つめすぎてしまったのかもしれない。
直江の視線に気がつくと、彼ははっと我に返ったふうで、またしどろもどろに語尾を濁してしまったから。 残念。タメ口で話す彼はとても溌剌として見えたのに。
「『直江』でいいですよ」
取ってつけたように敬語で言い直し、さん付けで呼ぼうとする高耶を柔らかく遮った。
「でも……」
困ったように眉尻さげる彼に、噛んで含めるようにさらに続けた。
「お気づきかもしれませんが、私が世間で使う本名は別にある。『橘義明』という名前がね。 『直江』は言わば通り名です。 でもあなたにはそう呼んで欲しいんです。あなたの口から『直江』って呼ばれるとね、自分もそう捨てたもんじゃないって気がしてくる……。 初めて自分のことが好きになれそうな、そんな気になるんです」
「直江…?」
「いい年したオトナがおかしいでしょう?あなたに呼ばれてやっと素の自分に戻れるんですよ。 高耶さん。だから、私に向かって無理に改まった敬語なんかで話さないでください。距離を置かれたようで哀しくなる……」
しみじみとした口調に、この日、初めて高耶が自分から目線をあわせてきた。
真っ直ぐで潔い、彼の心情を映し出す黒耀の瞳。その瞳が、何か言いたげに揺れている。
「オレも……」
暫くの間があって、ようやく高耶が口を開いた。
「『高耶さん』なんて、今まで誰からも呼ばれたことなくて。初めてで調子狂って。でも、直江がそう呼んでくれる響きは、すごく好き……。 ひょっとして直江もそうなのか?オレ、呼び捨ててかまわない?タメ口の友達言葉でも?呼び捨てどころか『おまえ』とか言っちゃうかもだけど?」
話しながら、反応を窺うように上目遣いに見上げてくる視線にくらくらした。
本当にこの人は天性の男誑しじゃないのだろうか。無自覚に振り撒くオーラは可愛いにもほどがある。
なんとか余裕を取り繕って、とっておきの笑みを浮かべた。
「それは、是非とも。楽しみにしてますよ。……ところで、もうひとつ、ケーキいかがです? 見栄張って相伴用に買ってはみたんですが、 実のところ、あまいものは得意じゃなくて。引き受けてもらえると助かります」
そう言って、自分の皿を高耶の側にそっと押しやる。
彼の貌がぱっと輝く。その後によぎる、少しばかりの遠慮と躊躇い。
(いいの!?ほんとに?)
そんな瞳で見上げてくるから、また笑って頷いた。
「今度、一緒にお店に行きましょう。好きなものを好きなだけ選んでくださいね」
「……いただきます」
それとなく仕掛けた外出への誘いを綺麗にスルーして、高耶は、パチンと手を合わせた。
クリームをすくいとるわくわくした仕草、口に運んで頬張る様子がなんともしあわせそうで、 にんまりと細まる目元が邪気のない子どものようで。
ようやく高耶が見せてくれたこの日一番の笑顔を、直江もまた、堪能したのだった。




私だって、自分のケーキ差出しちゃうぞっ!!!
とか思っちゃいましたよ。
あああっ!直江さんがうらやましいっっっ!


                             2019/09/21

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